• 万博が終わった。

    静かに幕を下ろしたような気がする。5月下旬、会場を歩きながら、目に映るパビリオンや人の波よりも、どこか遠い記憶のようなものが胸の奥に浮かんでいた。

    50年以上前、私の父も万博に行ったという。まだ若かった父は、未来への期待を胸に抱きながら、その会場に立っていたのだろう。高度経済成長のただ中、日本が世界に自分たちの力を示そうとしていたあの時代。父にとっての万博は、「これから」という言葉に満ちた場だったのかもしれない。

    私が今回の万博で感じたのは、少し違う。「これから」というより、「ここまで来たんだ」という静かな確認だった。技術は進み、世界はつながり、しかし同時に複雑で、脆い。希望と不安が入り混じる時代にも、何かしらの未来はある。

    帰り道、ふと父を思い出した。あの笑顔の奥に、どんな夢があったのだろう。私は父の時代の続きを歩いている。
    万博は終わった。でも、人が未来を信じようとする気持ちは、形を変えて受け継がれていくのだと思う。

  •  来年の夏に、車の車検を控えている。そろそろ車を変えようと思っている。

    候補はボルボV40のディーゼルだ。コンパクトなサイズで取り回しがよく、街中の狭い道でも気軽に運転できるのが嬉しい。ディーゼルなら燃費も良く、長距離を走る際のランニングコストも抑えられる。

     小さくても、後部座席を倒せば意外と荷物は積めるし、週末の買い物や旅行にも十分対応できそうだ。また、ボルボならではの安全装備も充実しており、万が一のときの安心感は何物にも代えがたい。機能性を重視しながらも、運転する楽しさや使い勝手の良さも感じられる。こうして具体的な性能を比べていると、車選びは単なる買い替え以上の、生活の質を整える作業なのだと改めて思う。

    さて、何色に絞ろうか・・・

  • 9月は作る気力が湧かなかった。そういう時もある。おそらく、『これだ!』というインスピレーションだったり、美しい作品を見ていないからかもしれない。生活の中で、発見する心も枯れ気味だったのかもしれない。

    自宅に、電気ろくろを購入すれば、時間のある時にもっと作ることもできるし、練習も増える。来年からそうしようかな。焼くことよりも、手作業の時間をもっと増やしたい。

  •  陶芸を始めてみたいけれど、何から手をつければよいのかわからない。そんな人にまず伝えたいのは、思ったより気軽に始められるということだ。

     必要なのは粘土、形を整えるためのヘラやスポンジ、そして乾燥させて焼くための窯だが、教室や体験工房に通えば一通り揃っているので安心できる。

     最初の作品は湯のみや小皿など、小さなものから挑戦するのがよい。粘土を手でこね、形を整えるだけでも自分だけの作品になる。さらに陶芸の魅力は、釉薬と呼ばれる色付けにある。青や緑、白や黒など、同じ形でも色によって雰囲気はがらりと変わる。思いがけない発色に出会えるのも楽しみのひとつだ。

     難しく考えず、まずは一度触れてみること。それが陶芸の入り口であり、長く続けるきっかけになるだろう。このブログでは、初心者向けに必要な道具や基本的な作り方、色の工夫などを少しずつ紹介していきたい。

  • 最近、腕時計を新調しようと考えている。候補に挙がっているのは、アウトドアやスポーツの分野で信頼を集める SUUNTO か、GPSウォッチの代名詞的存在である Garmin だ。

    条件はいくつかはっきりしている。

    ソーラー充電機能を備えていること。これがあると、日常の充電回数をぐっと減らせるし、長期の外出やアウトドアでも安心感が違う。

    画面表示の見やすさ。50歳を過ぎると、細かすぎる表示や暗い画面は使いづらく感じるようになってきたからだ。

    バッテリーの持続時間も外せないMUST条件。毎日充電しなければならないような時計では、せっかくの機能も使いこなせない。

    ④Apple Watchではない・・・

    高価なモデル→→→たとえば「O」や「R」のような高級ブランドの時計――は自分には釣り合わない。若い頃には憧れた時期もあったが、今となってはその魅力を強く感じることもなくなってきた。「常に最新のガジェット」である必要もない。シンプルで堅実、それでいて信頼できる一台が欲しいのだ。

    そして、価格は400ユーロ前後というのが現実的なライン。日常使いもアウトドアもこなせて、この条件を満たすものを探している。

    ――こうして考えを整理してみると、やはり最後は SUUNTOかGarminか、という二択に落ち着いてくる。

  • サウナという空間には、不思議な力がある。高温の部屋に腰を下ろし、じんわりと体の芯まで熱をため込む。ゆっくりと息を吸うたびに肺に温もりが広がり、時計の針が遅く進んでいる気がする。だが、耐えているうちに心拍がリズムを刻み、頭の中の雑音が徐々に消えていく。私がよく行く銭湯では、テレビがあり、本当はいらないと思っている。

    10分ほど汗をかいたらシャワーで清める。そして水風呂へゆっくり沈む。決して飛び込んだりしない。全身が水風呂に浸している部分あ、グンっと引き締まり、細胞ひとつひとつが覚醒するような、心地よい衝撃が走る。そのあと外気浴に身をゆだねると、風が肌をなで、血流のうねりが静かに体をめぐる。視界が少しぼやけたと思えば、クリアになり、またボヤけたりクリアになったり。。。

    その時間が、「ととのい」なのだろう。私そう解釈している。言葉にすれば陳腐だが、一度体験すると忘れられない境地である。

    医学的にも、サウナは血流促進や自律神経の安定に効果があるとされる。だが数字や研究結果を持ち出すまでもなく、体感がすべてを物語る。肩の重さが消え、心の曇りが晴れる。サウナは、現代人が自らをリセットするための最もシンプルな装置なのだ。

    また、サウナは社交の場でもある。特にフィンランドではそうだ。肩書きや立場を超えた奇妙な連帯感が生まれる。隣に座った知らない人と、ただ「暑いですね」と言葉を交わすだけで、不思議と心がほどける。そこには余計な飾りがない。誰かが時を見計らって、ロウリュをする。

    入る前と出た後では、別人のように思考が澄みわたり、前へ進む力が戻ってくる。サウナは単なる娯楽ではなく、生きるための習慣である。

    これから秋が深まり、夜風が涼しくなる季節は、外気浴の最も気持ちよい時期だ。湯上がりに空を仰ぎながら椅子に身を沈めると、モヤモヤした気分も遠い出来事のように感じられる。サウナとは、日常の隙間に現れる小さな非日常であり、現代人にとっての救いの場所なのだ。

  • 仕事の合間に、ふと目にとまったネット記事がありました。

    「コーヒー豆焙煎の副業」

    副業しなければならないほど、お金に困っているわけではないのに、なぜかその響きに心を惹かれました。

    焙煎という手仕事が、自分の手元に小さなビジネスをもたらしてくれる気がする。

    あと10年もすれば、私も老後と呼ばれる年齢。
    慌てる必要はないけれど、資格を取ったり、新しいことを学んだり、
    細々とでも生きがいを感じながら暮らす準備をしておきたい。
    そんな思いが、最近少しずつ強くなってきた。

    さて、話は変わります。
    今日、上司から面白いエピソードを聞きました。
    取引先のケニア人を、本人のリクエストにより大阪の黒門市場に案内したそうです。なぜ黒門市場なのか・・・

    そのケニア人のリクエストだったらしいのですが、
    並んだ海鮮の値段を見て、上司は思わず目を丸くしたとか。
    金額を聞き、私もつられて目を丸くしてしまいました。

    極めつけは、海鮮丼に「いくら」をトッピングして、満面の笑みを浮かべるケニア人。
    文化の違いを超えて、食を楽しむ姿はなんだか微笑ましく、
    こちらまで嬉しくなってしまいました。

    コーヒー豆の香りに包まれた暮らしと、
    海鮮丼を頬張るケニア人の笑顔。
    どちらも私にとって、これからの人生を少し明るくしてくれる風景のように思える。

  • 9月1日、まだまだ暑い

    今日も本当に暑かった…。
    それでも9月に入ると、なんとなく気持ちが切り替わる。

    電車の中は、学生たちでいっぱいだった。夏休みが終わって新学期の始まり。
    ふと昔を思い出す。自分の頃は、夏休みの宿題がそのままテスト範囲になっていて、2学期早々に試験があった。今もそうなのだろうか。

    男子校や女子校の生徒が同じ車両に揃うと、不思議と「共学」っぽい空気になる。
    世界的に見ても、男女で学校を分ける国は少ないのでは?
    車内は穏やかで、どこか平和な時間が流れていた。

    さて、9月に入ったからには、恒例の「月一詣」で御朱印をいただきに行かねば。
    この習慣も、もう10年近く続いている。御朱印帳は一冊を大切に使い、最後のページを埋めてから新しいものに切り替える。最近、新しい御朱印帳を迎えたばかりだ。

    そして今回の御朱印帳は、サムハラ神社のもの。
    サムハラ神社は、大阪にある小さな神社だが、古来より「無傷無病」「厄除け」「延命長寿」のご利益で知られている。境内はこぢんまりとしていながら、訪れる人は後を絶たない。私も参拝するたびに、不思議と背筋が伸びる思いがする。

    今月もまた、この御朱印帳に新しい一頁を重ね、日々の無事を願いたい。

  • 明日から9月。
    日本では学校に通う子どもたちにとって、2学期の始まりという大きな節目の日。
    一方で、企業で働く人々にとっては、ただの9月1日であり、ただの月曜日に過ぎない。

    けれども、私にとっては少し違う。
    この日をきっかけに、ブログを始めてみようと思ったからだ。

    たわいもないことを書き、それを知らない誰かが読む。そんな小さな営みが、私には不思議と大きな一歩に思える。
    プラットフォームは「note」と迷ったが、結局は老舗の「WordPress」を選んだ。古い友人のような安心感があったからである。

    それにしても、今年は暑い。
    今春にエアコンを購入しておいて正解だった。2台にするか、大きめの1台にするかで妻と軽く口論したことも、今では笑い話に過ぎない。結局、広い部屋をガツンと冷やしてくれる1台を選んだのだが、これがなかなか頼もしい。

    しかし、そんな一時しのぎで凌げるほど、地球の暑さは甘くない。まるで「人類よ、この猛暑に耐えられるのか」と試されているようでもある。
    エアコンでは限界がある。そうなると、もう北に行くしかない。

    私の好きなフィンランドへ。

    ――というわけで、最初の投稿はここまで。
    果たして次に書くことがあるのか、私自身もわからない。
    けれども、誰かがふと立ち寄り、涼しい風のように読み流してくれたら、それで十分だ。